「信用」と「信頼」はそれぞれ違う意味ですが、その意味の違いを知らないことによって、なんでも信じてしまい、騙されたり、自分の選択にも関わらず、人のせいにしたり、と信頼関係を築くことが難しくなります。
「人を疑うということは悪いことだ」と考えていれば、相手から信頼を得ることも、良い結果を手にすることもできません。その意味がわかるでしょうか?
人は「信頼しても信用してはいけない」し、「信用したからといって信頼するかどうか」は別問題です。
・「信用」の意味とは何か?
「信用」とは、過去の実績に基づいて、証拠によって信じるさまのこと。
「credence」「credit」などが「信用」のニュアンスになります。
いずれも、証拠があることによって、取引を行うようなニュアンスが含まれます。
つまり「信用」とは過去の事であり、条件付きに行うものです。
信用取引には担保があるように、何かを差し出す代わりに何かを差し出してもらうという、交換条件によっての「信用」となります。ビジネスライクなもの、契約ありきのものが「信用」と言えます。
・「信頼」の意味とは何か?
対して「信頼」とは、これからの未来への期待のことです。
証拠など無しに、信じて今後、頼りにするということ。
「trust」「rely」などが近いニュアンスになります。
つまり、「信頼」とは未来の事であり、無条件で行うものです。
無条件というのは逆にいえば、「自己責任」。
自分の判断であるということ。
■信頼しても信用するな
このような違いから、多く使われてる「信じる」「信用する」と言ったニュアンスの言葉は「信頼」に該当することが多いでしょう。金銭のやり取りや、交換するものがなければ信用は成立しないので。
利害関係は信用によって成り立ちますが、人間関係というのは信頼によって成り立っています。
しかし、「信頼しても信用するな」という言葉があるように、信頼と信用を一緒にしていると、相手にとっても自分にとっても最悪なことになるのです。
信用してはいけないのです。
信頼とは期待を含みますが、保証は含まれません。
にも関わらず、「相手を信頼しています」と相手に責任を丸投げして、問題が起きたら「信用してたのに、ひどい!」と責任転嫁をする人がいるわけです。
「信頼しても信用するな」とは、相手に対して期待をしても、自分が望む結果までを信じてはいけないということ。
どれだけ期待できる相手であったとしても、確実に自分にとって都合のいい結果になるとは限らないわけで、そこに対して自分自身も準備をし、努力をしなければいけないのです。
信頼とはお互いの努力によって成立するものです。
「信頼=信用」になっている人間は自己中心的で、自分は何もせずに責任だけを人に丸投げし、思った通りにならなかった途端に「裏切られた」と言い出します。
■信用しないのは当たり前
落ち着いている人は、誰も思考停止で信用したりはしていません。結果が出るまで最善の努力をしますし、人に何かを依頼しても本当にそれが依頼通りになるかを追いかけて確認して行きます。
思考停止で信用した瞬間に、相手任せになり、他人事になり、期待に対して自分は努力をせず、相手だけに責任を負わせる、といった、お互いにとって最悪の結果になるからです。
信頼はしますが、確証のある利害関係の契約でもない場合、信用はしません。
「人を信用しない」というと、非常に誤解がありますが、信用しないのは相手の幸せのためであり、良い結果のためであり、当然のことなのです。
信頼というのはお互いの努力なくしてできることではないのですし、努力をせざるを得ない関係性でなければいけないのです。
■信用しても信頼するな
さらにいえば、「信用しても信頼するな」です。
混乱しそうですが、信用できる相手(過去の実績から)であろうと、信頼するかどうか(未来を頼りにするかどうか)は自分で判断するということです。
信用に値する証拠が揃った瞬間に、思考停止で「この人は信頼してもいい人だ」というのはおかしな話です。
例えば、
・SNSのフォロワーが多い人は信用できる
・成功者と友達だと信用できる
・テレビ、雑誌に出演したことがあると信用できる
・年商が多いと信用できる
・出版してると信用できる
・お客様の声が良いから信用できる
・行列が並んでいる店だから信用できる
・ニュースで取り上げられたビジネスだから信用できる
・NPOの協会だから信用できる
・大企業の商品だから信用できる
と、盲目的に信用=信頼となり、採用してしまう人がとても多いわけです。
信頼は無条件で行う、自分で判断できるものです。
信用できるからといって、必ずしも信頼(採用)するかといえば別の話なのです。
情報や人を採用したのは自分です。自分の活用方法次第で決まります。だから自己責任。思考停止で採用して、それらに「期待」だけを寄せるようでは物事をなすことはできません。
信用できても、信頼するかは自分で選ぶのです。
■相手に信頼してもらうためには?信じ合ってはいけない
では人に「信頼」してもらうにはどうしたらいいでしょうか?
無条件で頼ってもらい、お互いにとって有益な関係であり続けるためにはどうしたらいいのでしょうか?
それにはまず、「信じあってはいけない」と言うことです。期待してはいけない。
信用すれば交換条件ですから、
「やってもらって当たり前」
「結果が出て当たり前」
「相手の責任」
「他人事」
です。
信頼関係では、相手を信用すること期待することは大変、無責任なことです。
お互いに目的のために努力し合う関係でなければいけませんし、お互いがそれを理解していなければ信頼関係にはなりません。
次に、「未来を共有すること」が必要です。
信頼をすると言うのは、「未来を頼られる」と言うことですから、この人(人物・情報・物事)と一緒(活用して)に未来を共有できるかどうか?と言うのが信頼の基準になるはずです。
そして、それは、「そうなって当たり前」と言う相手任せの態度ではなく、自己責任で無条件で自分で選択した事ですから、その期待通りの結果を得るために自分が努力をするものです。
であれば、お互いに、同じ未来を見ているかどうかが最大のポイントになると言う事です。
あなたが期待している未来はどんなものか?どんな未来に対して自分は努力をしているのか?それが相手と共有している状態になっているかどうか?
その未来を見せること、共有することを相手とすることで、相手からの信頼が得られるようになります。そしてお互いにその未来に向けて努力する状態が信頼関係というものです。
■アドラー「他者信頼」とは
心理学者のアルフレッド・アドラー博士は、人間の幸福は「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」の3つの要素によって成り立つ「共同体感覚」によって生まれると言っています。
「自分を受け入れ、他者を無条件に信頼し、他者に対して貢献している自分」と言う主体的な感覚が幸福の正体であると言うことです。
中でも他者信頼ですが、無条件に人を信じると言うのは、当然、「自分に何かをしてくれることを信じる」と言うことではありません。
「敵ではない」と言うことです。
敵ではないと言うことが分かれば、競争をして競い合う必要がなくなります。
競い合わないと言うことは、他人に認めて欲しい、負けたくないと言った、他人からの評価の恐れがなくなります。
そうなれば、叱られたり、褒められたりと言う動機付けがなくても、他人は関係なく、主体的に考え、行動できる自立した人間になります。
他人は自分のためにいるわけでもなく、自分も他人のためにいるわけでもないのです。
他人に期待することも、期待に応える必要もないのです。
そうなれば、世界は敵ではないのですから、人に協力できるようになります。
「競争」から「協力」に変わります。
他者を信頼するとはそう言うことです。
無条件に他者を信頼することとは、協力関係の土台なのです。
■信用・信頼の名言
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十人が十人とも悪く言う奴、
これは善人であろうはずがない。
だからといって
十人が十人ともよくいう奴、
これも善人とは違う。
真の善人とは、
十人のうち五人がけなし、
五人がほめる人物である。
/孔子
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[白文]24.子貢問曰、郷人皆好之何如、子曰、未可也、郷人皆悪之何如、子曰、未可也、不如郷人之善者好之、其不善者悪之也、
[書き下し文]子貢問いて曰く、郷人皆これを好まば何如(いかん)、子曰く、未だ可ならざるなり。
郷人皆これを悪まば(にくまば)何如。子曰く、未だ可ならざるなり。
郷人の善き者これを好み、その善からざる者これを悪むに如かざるなり。
[口語訳]子貢が質問して言った。『郷里の人がみんな人を褒める人物ならどうでしょうか。』。
先生が言われた。『まだ十分ではない。』。
子貢が言った。『郷里の人がみんな人を嫌う人物ならどうでしょうか。』。
先生が言われた。『まだ十分ではない。郷里の人の中で、善人に好かれ悪人に嫌われるというのが一番である。』。
[解説]孔子はすべての人から褒められることを十分でないとし、すべての人から嫌われるのも良くないとしたが、人間関係の中でも是々非々を明らかにするために善人に好かれ悪人から嫌われる境地を目指したのである。
全員から好かれようとすれば、それはいいひとを演じなければいけない。
それはつまり「都合のいい人」と言うこと。
期待に応えようと、褒められようとする行為は、結果的にお互いのためにならない。
だから孔子はこんな風に全員から善人と言われる人物は善人とは限らない。
と言っているわけです。
信頼に対して努力できる人物が善人であると言うこと。
信頼に対して努力をしても、半分の相手は努力をせずに良い結果にならないから、対峙した人物の賛否が別れる。
■信用と信頼のまとめ
「自分を信じる」「あなたを信じる」
などと言う言葉がよくあります。
とても美しく見えます。
しかし、最悪です。
これには期待が含まれています。
だからその通りにならなかった時に自分を責める。
他人を責めるわけです。
そんな期待の中でいると言うことは世界の中心に自分がいて、他人に何かしてもらうこと、他人の期待に応えることが当たり前になってしまいます。自己中心という事。
常に裏切りと期待の中で生きることになります。
それでは、ずっと幸せではないでしょう。
期待や見返りといった条件付きではなく、無条件に互いの未来のために努力し合える関係こそ信頼関係です。
関係が悪くならないために、互いにビジョンを共有し、自らも努力する。その状態です。
状態は常態ではありません。あたり前じゃないという事。