『子育て』に使われている、『育てる』の「そだてる」「そだつ」の語源的解釈からの考察です。
「そだつ」は、【スダツ・ソタツ・ソヒタツ】という語が転じたものだとされています。
【スダツ】⇒「巣立つ」⇒『独り立ちする事』
【ソタツ・ソヒタツ】⇒「傍立つ・添立つ・副立つ」⇒『助け導く』
ですから、「そだつ」という言葉は、『独り立ち出来るまで助け導く』という意味を持つようです。
「育てる」とは、 [生き物が成長するように、面倒を見る事・能力や技術に磨きをかけるために、教え導く事]のように説明されています。
動物や植物が大きくなるように栄養を与えたり、また知識を教えるなど、世話、面倒をみる事を表す場合に「育てる」を使います。
例えば、「子供を育てる」「小鳥を育てる」「花を育てる」といったように言います。
子供や弟子の才能や技術を伸ばすために、指導し教え導く場合も「選手を育てる」「跡取りを育てる」「才能を育てる」と言います。
生物や人だけではなくて、ものに対しても、「地域産業を育てる」「会社を育てる」と言います。
他にも、気持ちを高めるために頑張るという場合は「夢を育てる」「自立心を育てる」と使います。
とても素敵な言葉だと思います。
さらにこの漢字は、「育む」とも書きますね。
「はぐくむ」です。
「育む」の意味は、 「羽包む(ハククム)」が由来しています。
「羽包む」は、親鳥が雛を羽で包むことを表し、「親鳥が雛を守り、大切に育てる」という意味で、そこから『ものや人を大事に育てる』ことを表すようになりました。
成長や発展を願って、大切に育てる事、大事に守って、成長させる事。
これには沢山の愛情が何よりも大切だと感じています。
「愛を育む」「友情を育む」「心を育む」「夢を育む」「生命を育む」といったように使われ、「慈しみ」「愛しさ」「温かみ」「優しさ」「いたわり」「可愛がり」といった多くの思いやりの気持ちが込められています。
ですから、『大切にするという気持ち』が「育む」には含まれているので、「しぶしぶ育む」「仕方なく育む」といったようにマイナスな意味の言葉を伴って使うことはありません。
でも「育てる」だと、「仕方なく育てる」という残念な表現は存在します。
「育てる」も「育む」もどちらも「大きく成長させること」を表しますが、細かいニュアンスが異なります。
「育てる」は人・生物・植物などの世話をすることから、ものの『成長を助ける』などと、抽象的なことに対しても使いますが、「育む」は、人やものなどを『大事に優しく世話をする』ことを表す場合に使います。
「育てる」と「育む」の違いとしては、「愛情を注ぎ方が、自分を砕いてでも、相手の成長を支えているか」という点になります。 「育てる」にも愛情が込められているものの、「育む」と比較すると薄れている印象があります。
ですから「育む」を「育てる」に言い換えることができますが、「育てる」を「育む」に言い換えることができない場合があります。
「はぐくむ」は万葉集にこんな和歌があります。
旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 吾が子羽ぐくめ 天の鶴群
たびびとの やどりせむのに しもふらば わがこはぐくめ あめのたづむら
奈良時代の遣唐使かもしれません。「吾が子(我が子)」は遠い地へと旅立つ。母は祈り、空を舞う鶴の群れに想いを託します。
「我が子は異国の地で寂しい想いをしてはいないだろうか。身体を壊してはいないだろうか。私にはあの子を暖めてあげることはできないから。鶴よ。もしもあの子に会えたなら、抱きしめてあげてほしい」
そんな想いが込められているのですね。
「育む(はぐくむ)」は『羽でくるむ』から生まれた言葉。
この言葉は日本の「子育て文化」を表した言葉だと思います。
子どもは生まれたときから、それぞれの『ギフト』をちゃんとを持っている。
そんなそれぞれの『ギフト』をあたたかいまなざしで見つめ、慈しみ、大切に育んでいく。
そこに「日本の子育て」の美しさがあるように感じます。
「育てる」は大人主体。
「育む」は子ども主体。