『主導権』というと、男女平等・夫婦対等な時代に不似合いな感じがしますが、何か組織を運営していく上では主導する役割は肝要です。
『家庭』は大人と子どもで織り成す小さな組織です。
ですから、個々人が気ままに暮らすより、主導する人がいてまとまりをもって暮らす方が物事は順調に運びます。
まずは、どんな家庭を築きたいかコンセプトを確認しましょう。
現代では、封建的な家庭を望む人は余りいないと思います。
大半の人は『家族みんながほっとできて、笑いもあり、信頼もある、温かい家庭』を理想とするのではないでしょうか。
そんな家庭を目指すとしたら、誰が主導権を握るのが良いのでしょうか。
結論から言うと、それは『よくコミュニケーションの取れた夫婦が二人で主導権を握る』ことだと私は思っています。
なぜなら、夫婦はどちらが偉いわけでも強いわけでも秀でているわけでもなく、互いに異なる性質を持つ補い合う存在であり、協働する時に大いにその良さを発揮できるからです。
では、夫婦どちらかが主導権を握るなら、どうなる可能性があるのでしょうか?
それぞれが互いを思いやり上手に行使できるなら、問題は無いかもしれません。
しかし、思いやれずに自分中心になってしまったら…。
その場合は苦しい主従関係や疎外感が生まれるかもしれません。
そのような考察をしてみましょう。
夫が主導権を握る場合の極端な例は『昭和の父親像』かもしれません。
寡黙で頑固一徹、妻と子どもの意向は聞かず、良かれと思うことを独断で決定し、皆が気を使い、従わざるを得ない関係。
これだと威厳は得られますが、妻や子どもたちがホッとして、和気あいあいと楽しく過ごすのは難しいでしょう。
自尊心を失くしてしまうこともあるかもしれません。
そして、夫自身も結果的に家族との心理的隔たりから寂しさや虚しさを感じるようになるかもしれません。
現代はここまではいかないにしても、
「俺の稼ぎで食べられてるんだよね。俺の人生と家族は別物。家族に使う時間はサービスタイム」という思考の夫はいることでしょう。
そのような夫は、妻や子どもの自尊心を傷つけたり、疎外感、寂しさを感じさせるかもしれません。
結果、彼らからの尊敬や親密感は得られず、心理的にも物理的にも見捨てられてしまう危険が潜んでいます。
では、 妻が家族を思いやれず自分中心に主導権を握る場合はどうでしょうか。
そのような妻は,
「みんなは家のことは分からないでしょ。私が全て把握しているから、私に任せて!」と家庭の様々な分野を手中に収め、夫や子どもの介入を許さないかもしれません。
これは現代に陥りやすい傾向であり、一見うまくいくようにも感じます。
しかし、これは妻が全てを背負い込むパターンです。
そしてワンオペ※の入口になりかねない危険性もあります。
家ですることの無い夫は、家での有用感や居場所を失い、居心地が悪くなるかもしれません。
こうなると『家のことには我関せず』と協力的ではなくなります。
そして子どもは、母親に何から何までお世話されると『それが当然』と体に染み付くように覚えてしまい、『お子様』になってしまいます。
「自分で出来ることは自分でしよう」とか「お母さんは大変だから助けてあげよう」という発想がなかなか育たないかもしれません。
結果、妻は家庭内タスクが多くなり、物理的にも精神的にも参ってしまい、自分の人生を生きていない、大事にされていないと、悲しんだり虚しくなったり、大事だったはずの家族の存在にすら疑問を感じるようになってしまうかもしれません。
(※ワンオペ=one operation 家事や育児を独りで切り盛りしなければならい状況を指す語。その原因は必ずしも妻にあるわけではありません。)
主導権は子どもが握ることもあります。
まさに『お子様』です。
本来、何も知らずに誕生する子どもは教えられ導かれる必要があります。
しかし新生児でさえも親と主導権争いをするかのような態度を取ります。
それは泣くことによってです。
単純に、眠いから・お腹が空いたから・おむつが汚れているから・具合が悪いから・寂しいからという理由がほとんどですが、何をしても泣く時があります。
こんな時は親を試し、親の権威に挑戦を仕掛けている場合があります。
「主導権を握ってやる!」と。
しかし、やはり赤ちゃんですから確固とした野望があるわけではありません。
実は不安がいっぱいで,
「この親は信頼できる?」
「諦めて放り出したりしない?」
「わたしのこと愛してる?」と確認しているだけなのです。
ここで親は振り回されず、親のペースの方へ子どもを引き寄せ、頼っていいこと、決して見捨てないこと、とても愛していることを威厳をもって言葉と態度で伝えてあげてください。
赤ちゃんは安心して主導権を返してくるでしょう。
もっと大きくなった子どもであっても同様です。
本来『お子様』とは、他者により理由があって子どもを特別扱いする時に使われます。
親に特別扱いされる子どもは疎外感を感じるはずです。
家庭内では『お子様』は存在しない方が健全ではないでしょうか。
現代は兄弟姉妹や従兄弟・従姉妹が少なく、赤ちゃんや子どもに深くに接したことが無いまま親になったり、『初めて接する赤ちゃんが我が子』という人も増えています。
そのため、子どもに泣かれることが怖かったり、どうしていいか分からなくて自信を築けなかったり、子どもの機嫌を損ねることに恐怖を感じたり、嫌われやしないかと心配する人もます。
それは能力不足というより、単に子どもという存在への知識不足です。
しかし不安や恐れから親が子どもに合わせて振り回されることを選ぶと、子どもの不安はいっそう増大し、もっと無理難題を吹っ掛けてくるという悪循環に陥ってしまうわけです。
この状態は暴れ馬に似ています。
怖くて暴れているだけで、本当は落ち着きたいのです。
しっかり手綱を握って、離さないであげてください。
では主導権を握るのに相応しい、よくコミュニケーションの取れた夫婦になるにはどうしたらよいでしょうか。
それは、広く深く意思の疎通を図ること、そのための時間を惜しまないことです。
そうするなら互いをよく理解でき、互いの良さも欠点も受け入れ、人として尊重し、協働することが出来るようになります。
今日明日のことについても、将来のことについても、常に考えをを共有するので、互いはどう思うのか大抵知っている状態になります。
そのため認識の違いに驚いたりがっかりすることがほとんど無くなります。
こんな二人が話し合いながら家族のために主導権を握り、能力を発揮するなら素敵な家庭運営が出来ることでしょう。
絵空事だと思われますか?
まずは試しにやってみてください。