後鳥羽院をご存知でしょうか?
文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られる鎌倉時代の天皇で、鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げた承久の乱で敗北し、隠岐に配流。
小倉百人一首では99番目。
因みに100番目は、同じく承久の乱で、佐渡島に配流になった息子の順徳院。
その百人一首では、
人もをし 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は
[人間が愛おしくも、また人間が恨めしくも思われる
つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には]
という和歌を詠みました。
ここで使われている『をし』の意味が興味深いです。
を・し【惜し・愛し】
《すでに手中にしているものが大事で、手放せない感情をいう語。類義語『惜がる』【アタラシガル】は、その物の良さ、美しさが生かされないのを、もったいないと思う意》
(失ったり、そこなわれたりすることが)もったいない。
(大切でかけがえないから)手放しがたく、いとしい。名残がつきない。
「を(惜)し」が自分の事についていうのに対し、「あたら(惜)し」は外から客観的に見た気持ちをいう。
因みに「新しい」は、古代では「あらたしい」(現代でも『あらた』では残っている)と、発音していたが、中世で混同して、「あたらしい」と読むようになったようです。
そしてこの『をし』が、『教える』「おしえる」という言葉になりました。
『教える』⇒【ヲシム・ヲサヘ・ヲシアヘ】という語が転じたもの。
【ヲシム】⇒「愛しむ」であり、愛情をもって接する事。
【ヲサヘ】⇒「抑え」であり、抑制する事。
【ヲシアヘ】⇒「をし饗」であり、ご馳走でもてなす事、十分に与える事。
「おしえる」という日本語には、愛情をもって接する、何かを抑制する、生きる術を与えるといった意味があるようです。
ですから、自分の大切なものを、大切な人に分け与える感覚が、『教える』と言えるかもしれません。
次いでに、『愛しい』(いとしい)という言葉も出てきたので補足を。
実生活で言葉にする事は少ないかもしれませんが、気持ちを表現する時や、物語、歌の歌詞などでは、この『愛しい』という言葉はよく使われています。
『恋しい』でも、『愛してる』でもなく、『愛しい』とはどんな意味やニュアンスを含んだ言葉だと思われますか?
『愛しい』とは[可愛い・恋しい・慕わしい]という意味で、主に子供や異性に対して使われる言葉です。
他には、[気の毒だ・かわいそうだ・不憫だ]という悲しい気持ちを含んだ意味も含まれています。
これは元々『愛しい』という言葉は『厭う』という言葉の、[嫌がる・大事にする]という感覚が含まれているからです。
『教育』という漢字の訓読みには、多くの情報が含まれている気がします。簡単にいかない訳ですよね。
夫が塾講師の時に、『生徒たちが私に「良い授業(教育)」を求めるなら、講師である私は理解ある授業をするための努力を惜しまないが、生徒たちも私の教えを受け入れる姿勢(概念や思想等に関する知識に関する予習、講師の言葉・行為を積極的・肯定的に受け入れる態度、復習)が大切だ』と教えていました。
『教育』は、お互いを大事にし、高め、信頼し合う気持ちがとても大事だと感じています。